昨夜は大学時代の友人が箱根湯本まで遊びに来てくれました。
4年間飲んだり語ったり、バカにも真面目にも共に過ごしてきた大切な友人と社会人になった今もこうして飲み語りができるというのは幸せです。
今朝、そんな彼を見送った帰り、酔い冷ましがてらのろのろ歩いていると、前方におばあちゃん2人組が歩いていました。
普段だったら横をすり抜けて歩いていくのですが、今日はそんな足取りも軽くなかったので抜かすことはせず、同じペースで歩いていました。
するとおばあちゃん達は「お兄さんが通るよ」と言って道を開けてくれました。
でも僕はそれをお断りし、「特に急いでないし、ゆっくり歩きたい気分なんです」と言いました。
そんなことからおばあちゃん達と話しながら帰路につくこととなり、そこで大きな学び、発見がありました。
結論から言うと、歩く速さで見えるものが変わるということ。
山の緑も、道沿いの苔も同じ緑ですが、それぞれの色の違いや葉の形の違い。
苔もざっと見て3種類が確認できました。
今の世の中は情報化社会と言われ、膨大な量の情報が光の速度で発信されています。
多くの情報を早く処理する能力が求められ、人間の能力の限界が生じているのではないでしょうか。
案外、自分の周りにあるもの、いる人のことが目に映っているだけで、見えてはいないのでは?
見えていると見ているは違います。
意識があるかないかの違いですが、意識がないとそれは脳が情報として捉えていないということです。
道を歩く速さも人生を生きる速さも似たところがあるように思います。
若いうちは全力で駆け抜けろ!
とよく言いますが、全力であっても走らなくてもいいような気がします。
僕は今まで走ってきましたが、アフリカから日本に帰り、その考えは変わりました。
のんびりと、でも確実に自分の夢ややりたいことを追って生きていきたいと。
大切なのは日々を意識すること。
時間は黙っていても過ぎていきます。
お金をいくら積んでも戻ってきません。
そう考えたら一番大切なものっておのずと見えてくるでしょう。
頑張る時間、人と会う時間、笑う時間、大切な人と過ごす時間。
そうやって一瞬一瞬に意識を込めて生きないとなって思いました。
おばあちゃん達に感謝です。
あ、最近友人のFB投稿からの引用ですが、深謝です。
この言葉、すごく好きです。
深謝
4年間飲んだり語ったり、バカにも真面目にも共に過ごしてきた大切な友人と社会人になった今もこうして飲み語りができるというのは幸せです。
今朝、そんな彼を見送った帰り、酔い冷ましがてらのろのろ歩いていると、前方におばあちゃん2人組が歩いていました。
普段だったら横をすり抜けて歩いていくのですが、今日はそんな足取りも軽くなかったので抜かすことはせず、同じペースで歩いていました。
するとおばあちゃん達は「お兄さんが通るよ」と言って道を開けてくれました。
でも僕はそれをお断りし、「特に急いでないし、ゆっくり歩きたい気分なんです」と言いました。
そんなことからおばあちゃん達と話しながら帰路につくこととなり、そこで大きな学び、発見がありました。
結論から言うと、歩く速さで見えるものが変わるということ。
山の緑も、道沿いの苔も同じ緑ですが、それぞれの色の違いや葉の形の違い。
苔もざっと見て3種類が確認できました。
今の世の中は情報化社会と言われ、膨大な量の情報が光の速度で発信されています。
多くの情報を早く処理する能力が求められ、人間の能力の限界が生じているのではないでしょうか。
案外、自分の周りにあるもの、いる人のことが目に映っているだけで、見えてはいないのでは?
見えていると見ているは違います。
意識があるかないかの違いですが、意識がないとそれは脳が情報として捉えていないということです。
道を歩く速さも人生を生きる速さも似たところがあるように思います。
若いうちは全力で駆け抜けろ!
とよく言いますが、全力であっても走らなくてもいいような気がします。
僕は今まで走ってきましたが、アフリカから日本に帰り、その考えは変わりました。
のんびりと、でも確実に自分の夢ややりたいことを追って生きていきたいと。
大切なのは日々を意識すること。
時間は黙っていても過ぎていきます。
お金をいくら積んでも戻ってきません。
そう考えたら一番大切なものっておのずと見えてくるでしょう。
頑張る時間、人と会う時間、笑う時間、大切な人と過ごす時間。
そうやって一瞬一瞬に意識を込めて生きないとなって思いました。
おばあちゃん達に感謝です。
あ、最近友人のFB投稿からの引用ですが、深謝です。
この言葉、すごく好きです。
深謝